スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新の無いブログに表示されています。
新しい記事を書くことで広告が消せます。
  

Posted by さがファンブログ事務局  at 

2014年02月28日

臨済宗の宗祖①

鎌倉仏教の潮流の一つは、坐禅によって悟りを得る禅の教えです。

禅の日本への初伝は、飛鳥時代のことでした。六五三年(白雉四年)に入唐し、玄奘に師事した道昭が法相宗とともに禅を伝えました。天台宗の宗祖・最澄も唐で禅を修め、天台宗の根本である四本の柱、つまり円・戒・禅・密の一柱に加えています。

続きは、臨済宗の宗祖②にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)臨済宗

2014年02月27日

時宗の宗祖⑤

信じようが信じまいが一心不乱に名号を称えれば往生できるという一遍の簡単な教えが大勢の心をとらえたのです。

そして無欲な一遍は、寺院や弟子を生涯もたず、粗末な身なりで死ぬまで旅を続けたのでした。

関連記事
時宗の宗祖①~④


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)時宗

2014年02月26日

時宗の宗祖④

これ以降、一遍は捨聖の身を通し、九州から東北まで全国で札を配ってまわりました。すると、阿弥陀如来に救われる喜びをそのまま体で表現する踊り念仏が民衆の間で自然に起こりはじめました。

続きは、時宗の宗祖⑤にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)時宗

2014年02月25日

時宗の宗祖③

しかしあるとき、「信じろと言われても信心が起こらない」と札の受け取りを拒否され、一遍は困惑します。悩む彼の前に熊野権現があらわれ、「ただ札を配りつづけなさい」とのお告げを授けました。

これによって一遍は、賦算に生涯をささげることを決意します。そして家族や財産、住居などはみな往生のさまたげになるとし、「南無阿弥陀仏」の名号以外は妻子や従者さえも捨ててしまいました。捨聖になったのです。

続きは、時宗の宗祖④にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)時宗

2014年02月24日

時宗の宗祖②

十三歳の一遍は、太宰府へ赴き浄土宗を学びますが、父が亡くなったことで伊予に帰り、いったん還俗、家督を継いで妻を娶ります。ところが伴侶をもっても落ち着かず、一族の所領争いを嫌って、伊予の窪寺で念仏の修業に入りました。

修行をはじめて三年後、一遍は念仏を称えて阿弥陀如来に頼る以外、救われる道はないと悟ったといいます。三六歳のときには、妻子を連れて遊行の旅に出て「南無阿弥陀仏」と書かれた札を配る賦算をはじめました。

続きは、時宗の宗祖③にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)時宗

2014年02月23日

時宗の宗祖①

鎌倉時代末期に登場した一遍は、彼の死後に時宗と名付けられる宗派の宗祖で、浄土宗や浄土真宗よりもさらにわかりやすい浄土の教えを説きました。

一遍は一二三九年(延応元年)伊予国(愛媛県)の豪族の家に生まれています。承久の乱で祖父が流罪になると、父は出家してしまい、母とも死別することになりました。

続きは、時宗の宗祖②にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)時宗

2014年02月22日

浄土真宗の宗祖⑫

親鸞は生涯弟子をとらず、「歎異抄」の悪人正機説にあるように「煩悩のさかんな悪人は往生のために他力を頼む。ゆえに阿弥陀如来は悪人こそ救おうとする」という教えを説きました。悪人救済を身をもって示した親鸞。彼を慕う者は、いまも絶えることがありません。

関連記事
浄土真宗の宗祖①~⑪


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土真宗

2014年02月21日

浄土真宗の宗祖⑪

親鸞は八四歳になっていましたが、非情にも善鸞と親子の縁を切ります。信仰上の誤りに対しては、たとえ我が子であろうと赦さない厳しい態度を示したのです。

そんな一二六二年(弘長二年)十一月、末娘の覚信尼などに看取られながら、親鸞は九〇歳でこの世を去りました。

続きは、浄土真宗の宗祖⑫にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土真宗

2014年02月20日

浄土真宗の宗祖⑩

ちょうどその頃、関東の門弟たちのなかに「悪人救済が阿弥陀如来の本願だから」と、あえて悪事をはたらく者があらわれました。当初親鸞は書簡を送って誤りを正そうとしていましたが、やがて長男の善鸞を関東に派遣します。

ところが、善鸞は父を裏切ってしまいます。誤った信仰を説いて、関東の教団の首領になろうと画策したのです。そして本来の教えを守っている門弟たちと対立し、ついには幕府への訴訟にまで発展してしまいました。

続きは、浄土真宗の宗祖⑪にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土真宗

2014年02月19日

浄土真宗の宗祖⑨

またこの頃、教えをまとめた著書「教行信証」の草稿も書いています。このなかで親鸞は承元の法難にふれ、天皇や臣下が仏法にそむいて恨みにかられていると非難しています。

六〇歳を過ぎて京に帰った親鸞は、目立った活動をせず、著述に専念します。「浄土和讃」「高僧和讃」「正像末和讃」など、多くの書物を著しました。

続きは、浄土真宗の宗祖⑩にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土真宗

2014年02月18日

浄土真宗の宗祖⑧

また親鸞は京都で法然の門下にいた頃にも結婚し、範意という子をもうけていましたが、このときの妻が誰だったのかは定かではありません。

法難から五年後、法然とともに親鸞もようやく赦されました。法然は帰京しましたが、親鸞は京に戻らず関東に移ります。そして常陸国(茨城県)で約二〇年にわたり布教につとめました。親鸞にとってこの時代は、教えの体系を確立したもっとも重要な時期だったといわれます。親鸞の教えは武士よりも農民の間に広まり、信徒は急増しました。

続きは、浄土真宗の宗祖⑨にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土真宗

2014年02月17日

浄土真宗の宗祖⑦

越後での親鸞は、自らを非僧非俗とし、愚禿と名乗りました。僧でも俗人でもなく、頭髪を落としただけの愚か者と称したのです。

このとき親鸞は豪族の娘・恵心尼と結婚し、六人の子女をもうけています。当時、僧侶が公然と妻帯することはタブーでした。それにもかかわらず、堂々と妻を娶ったのには理由があります。戒律を守れない愚か者こそ阿弥陀仏に救われるという教えを、身をもって示したのです。

続きは、浄土真宗の宗祖⑧にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土真宗

2014年02月17日

励みになります(*^_^*)

おはようございます(^^)/

曇り空の伊万里地方、ぼちぼち雨が降ってきそうな空模様です(^^;


先日、お客様より励みになるお言葉をいただきました(^0_0^)

当ブログをご覧になられていて、宗派や仏事に関する内容を参考にされているそうです。


ブログの更新がおろそかになっていた時期もありましたが、自分が考えていた目的と合致した言葉をいただいて、とても励みになりました(^^♪

宗派や仏事、仏壇・仏具等に関することをわかりやすく伝え、情報を幅広く発信できるよう今後も精進してまいりたいと思います!(^^)!



さぁ、本日も1日明るく元気に張り切って頑張っていきましょう(^^)/
  


Posted by きいちろう  at 09:19Comments(0)休憩中の私

2014年02月16日

浄土真宗の宗祖⑥

しかし教えが広まるにつれて奈良の諸大寺や比叡山が反発し、専修念仏禁止の弾圧を行なうようになります。一二〇七年(承元元年)に法然は四国に流罪、親鸞も還俗(出家僧から俗人に戻ること)のうえ、越後国(新潟県)に流されました。これを承元の法難といいます。

続きは、浄土真宗の宗祖⑦にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土真宗

2014年02月15日

浄土真宗の宗祖⑤

法然のもとには、貴族から民衆まで多くの人が参じ、教えを受けていました。念仏を称えれば善人も悪人も等しく往生できるという法然の教えは、煩悩に悩む親鸞にとっても絶対的な救いとなり、熱心に念仏の教えを学びました。

続きは、浄土真宗の宗祖⑥にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土真宗

2014年02月14日

浄土真宗の宗祖④

すると九五日目の明け方、奇跡が起こります。六角堂の観世音菩薩が夢にあらわれ、教えを説いたのです。親鸞はその教えにしたがってただちに法然のもとを訪れ、専修念仏に帰依することになったのです。

続きは、浄土真宗の宗祖⑤にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土真宗

2014年02月13日

浄土真宗の宗祖③

そこで二〇年にわたり天台の教えと修行に励みましたが、ついに悟りを得ることはできませんでした。しかも比叡山は世俗の権力と結んで堕落していたため、二九歳のときに下山を決意します。そして聖徳太子の創建とされる六角堂に一〇〇日間こもり、極楽往生を祈願しました。

続きは、浄土真宗の宗祖④にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土真宗

2014年02月12日

浄土真宗の宗祖②

この頃の日本は貴族や武士が争いを繰り返し、天災・疫病で死者が続出するという生き地獄のようなありさまでした。そんな世にあって、父を四歳で、母を八歳で亡くした親鸞は九歳のときに比叡山へのぼり、慈円につきました。

続きは、浄土真宗の宗祖③にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土真宗

2014年02月11日

浄土真宗の宗祖①

末法時代に浄土教の教えを広めた人物として法然と並び称される高僧が、浄土真宗の宗祖・親鸞です。

親鸞は一一七三年(承安三年)に、京都の宇治に近い日野に生まれました。藤原氏の流れをくむ、下級貴族の家でした。

続きは、浄土真宗の宗祖②にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土真宗

2014年02月10日

融通念仏宗の宗祖⑥

なお比叡山の堂僧時代の良忍は、念仏に節をつけて歌う声明念仏の天才的演奏者でした。後には魚山流声明を大成し、天台声明中興の祖と仰がれています。隠棲した大原では来迎院と勝林院を声明の根本道場とし、唐の声明の聖地になぞらえて「魚山」と称しました。

関連記事
融通念仏宗の宗祖①~⑤


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)融通念仏宗