2014年02月17日
浄土真宗の宗祖⑦
越後での親鸞は、自らを非僧非俗とし、愚禿と名乗りました。僧でも俗人でもなく、頭髪を落としただけの愚か者と称したのです。
このとき親鸞は豪族の娘・恵心尼と結婚し、六人の子女をもうけています。当時、僧侶が公然と妻帯することはタブーでした。それにもかかわらず、堂々と妻を娶ったのには理由があります。戒律を守れない愚か者こそ阿弥陀仏に救われるという教えを、身をもって示したのです。
(続きは、浄土真宗の宗祖⑧にて)

このとき親鸞は豪族の娘・恵心尼と結婚し、六人の子女をもうけています。当時、僧侶が公然と妻帯することはタブーでした。それにもかかわらず、堂々と妻を娶ったのには理由があります。戒律を守れない愚か者こそ阿弥陀仏に救われるという教えを、身をもって示したのです。
(続きは、浄土真宗の宗祖⑧にて)
