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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2014年05月06日

浄土系宗派の文化・しきたり⑭

ほかにも全国各地で練供養は行われていますが、それぞれに特徴があり、興味深いです。

東京都世田谷区の浄真寺で行なわれる練供養は「お面かぶり」とよばれ、三年に一度催されます。京都市東山区の泉涌寺で毎年一〇月十五日に行われる練供養も有名です。岡山県久米南町の誕生寺、長野県小諸市の十念寺なども、古風な練供養で知られています。

関連記事
浄土系宗派の文化・しきたり①~⑬


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土系宗派

2014年05月05日

浄土系宗派の文化・しきたり⑬

練供養の前日には、現世と浄土をあらわす二つの堂、娑婆道と曼荼羅堂の間に来迎橋という橋が架けられます。来迎橋を渡って僧侶が娑婆道にいき、中将姫の像に勤行します。その後、お面をかぶって衣装を身につけた二十五の菩薩たちが娑婆道に赴きます。僧侶が中将姫の像を連座に乗せると、菩薩たちが練り歩きながら入道していきます。

続きは、浄土系宗派の文化・しきたり⑭にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土系宗派

2014年05月04日

浄土系宗派の文化・しきたり⑫

當麻寺の練供養は、この寺で尼になり、生身のまま往生したという中将姫の伝承を再現しています。かつては姫が往生したという旧暦の三月十四日に行われていましたが、いまは毎年五月十四日に催されるようになりました。

続きは、浄土系宗派の文化・しきたり⑬にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土系宗派

2014年05月03日

浄土系宗派の文化・しきたり⑪

練供養をはじめたのは、天台宗の僧で「往生要集」を著した源信です。彼は大和国葛城郡當麻の出身で、生きながら阿弥陀如来に接したいと願い、横川の華台院で阿弥陀仏迎接会をはじめました。これが練供養の起源とされています。

練供養といえば、奈良県葛城市にある當麻寺が有名ですが、これも一〇〇五年(寛弘二年)に、源信らによってはじめられました。

続きは、浄土系宗派の文化・しきたり⑫にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土系宗派

2014年05月02日

浄土系宗派の文化・しきたり⑩

浄土教の伝統行事には、仮装行列のような楽しいパフォーマンスがあります。お面と衣装をつけて菩薩に扮した人々が、ぞろぞろと行列をつくって歩き回るのです。

このユニークな行事は、練供養とか二十五菩薩迎接会といわれています。極楽浄土への往生の場面が二十五菩薩の華麗な行列で再現され、これを見た者は極楽浄土のすばらしさをイメージできます。

続きは、浄土系宗派の文化・しきたり⑪にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土系宗派

2014年05月01日

浄土系宗派の文化・しきたり⑨

現在の盆踊りは、徳島市の阿波踊りに代表される縦列型の練行式と、大きな円陣をつくって踊る輪踊り式の二つの形式にわけられますが、形はちがっても、先祖供養という目的は同じです。

続きは、浄土系宗派の文化・しきたり⑩にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土系宗派

2014年04月30日

浄土系宗派の文化・しきたり⑧

しかし江戸から明治にかけては、国家権力によって何度も禁止令が出されました。また第二次世界大戦中も遊興禁止ということで、盆踊りも停止させられました。復興したのは戦後になってからです。

続きは、浄土系宗派の文化・しきたり⑨にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土系宗派

2014年04月29日

浄土系宗派の文化・しきたり⑦

室町時代には、宗教色が弱まり、華やかな衣装の群舞へと変化していきます。江戸時代には囃子の登場でいっそう娯楽性が強まり、各地に郷土色豊かな盆踊りが生まれました。豊年踊り・さんさ踊りなどのこの頃に登場しています。歌舞伎の源流である阿国歌舞伎も、はじめは念仏踊りであったといわれています。

続きは、浄土系宗派の文化・しきたり⑧にて


  


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2014年04月28日

浄土系宗派の文化・しきたり⑥

踊り念仏は先祖の霊を慰めようとする現在の盆踊りとは性格が異なり、現世での自らの救いと極楽浄土への往生を願い「南無阿弥陀仏」を称えながら無我の境地で踊ります。

そんな空也の踊り念仏を融通念仏宗の良忍が受け継ぎ、さらに鎌倉時代になると時宗の一遍が集団で踊るスタイルに発展させました。

これには出家信者ばかりでなく、在家信者も加わりました。それが民間に広まるにつれて死者を供養する盂蘭盆の行事と結びつき、やがて踊りがメインとなっていったのだといいます。

続きは、浄土系宗派の文化・しきたり⑦にて


  


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2014年04月27日

浄土系宗派の文化・しきたり⑤

夏の風物詩として欠かせない盆踊り。町の広場や寺の境内などに櫓を組み、その上で笛や太鼓が囃子を奏でます。音頭とりは独特の節回しで歌を歌い、櫓の周りを浴衣姿の人々が輪になって踊ります。盂蘭盆(お盆)中に全国各地で見られる、懐かしい日本の原風景です。

この盆踊りのルーツは平安時代にさかのぼり、一説によると、街角で民衆に念仏を広めた僧・空也がはじめた踊り念仏に原型があるといわれています。

続きは、浄土系宗派の文化・しきたり⑥にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土系宗派

2014年04月26日

浄土系宗派の文化・しきたり④

浄土美術には、死後に地獄に堕ちた者が苦しむさまを描いた地獄絵もあります。源信が「往生要集」に地獄の様子を詳しく記してからさかんに描かれるようになり、鎌倉時代の「六道絵」(聖衆来迎寺蔵)などが有名です。

また南北朝時代から室町時代につくられた「往生要集絵巻」には、焦熱地獄・阿鼻地獄などあらゆる種類の地獄が描かれています。

浄土の美しい光景よりも、阿鼻叫喚の地獄の恐ろしさを見せられることで、よりいっそう浄土への憧れを強くした信者も多くいたはずです。

続きは、浄土系宗派の文化・しきたり⑤にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土系宗派

2014年04月25日

浄土系宗派の文化・しきたり③

来迎図には阿弥陀如来が山のむこうに姿をあらわすもの、雲に乗ったものの二つの構図があります。

雲に乗って左上から右下へと斜めに移動しているものは、来迎するスピードがあるように感じられるので、早来迎とよばれます。とくに知恩院の「阿弥陀二十五菩薩来迎図」は早来迎の傑作として知られています。

ほかにも「山越阿弥陀図」「阿弥陀聖衆来迎図」など見事な作品がたくさんあります。

続きは、浄土系宗派の文化・しきたり④にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土系宗派

2014年04月24日

浄土系宗派の文化・しきたり②

浄土教で極楽浄土へ往生できるか否かは、臨終のときに阿弥陀如来が迎えにくる姿を見られるかどうかにかかっています。そこで人々は、早く救われたいという思いから臨終間際の者の枕元に来迎図を置き、念仏を称えて往生を願ったといいます。そんな信仰心が数多くの来迎図を生み出したのでしょう。

続きは、浄土系宗派の文化・しきたり③にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土系宗派

2014年04月23日

浄土系宗派の文化・しきたり①

平安時代後期から鎌倉時代にかけて浄土信仰がさかんになるなか、浄土経典に説かれた内容を視覚的に表現した図絵があらわれました。これらは浄土美術とか、浄土変といわれ、教えの普及に貢献しました。

なかでも、もっとも多く描かれたのが来迎図です。「浄土三部経」の「観無量寿経」にもとづいた絵画で、往生しようとしている者を阿弥陀如来が諸菩薩とともに迎えにくるさまを描いています。

続きは、浄土系宗派の文化・しきたり②にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)浄土系宗派