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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2014年02月10日

融通念仏宗の宗祖⑥

なお比叡山の堂僧時代の良忍は、念仏に節をつけて歌う声明念仏の天才的演奏者でした。後には魚山流声明を大成し、天台声明中興の祖と仰がれています。隠棲した大原では来迎院と勝林院を声明の根本道場とし、唐の声明の聖地になぞらえて「魚山」と称しました。

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融通念仏宗の宗祖①~⑤


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)融通念仏宗

2014年02月09日

融通念仏宗の宗祖⑤

一一二七年(大治二年)には、摂津国(大阪府)の修楽寺を融通念仏の根本道場としています。これがいまの総本山・大念仏寺です。

そして一一三二年(天承二年)、六一歳で没するまで、良忍は融通念仏を全国に広め、多くの人々を合唱念仏に導きました。

続きは、融通念仏宗の宗祖⑥にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)融通念仏宗

2014年02月08日

融通念仏宗の宗祖④

その後、良忍が念仏会を開いたところ、鳥羽上皇をはじめ大勢の公卿が入会します。上皇から全国の人々に布教するよう激励され、感激した良忍は、集団で唱和する融通念仏を布教してまわりました。

続きは、融通念仏宗の宗祖⑤にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)融通念仏宗

2014年02月07日

融通念仏宗の宗祖③

このような壮絶な修業を続けていると、ある日阿弥陀如来があらわれ「一人の称える念仏と、多くの人の称える念仏とが互いに融通し合って往生できる」という融通念仏の教えを受けました。ここで良忍は、融通念仏宗を開創するにいたったのです。

続きは、融通念仏宗の宗祖④にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)融通念仏宗

2014年02月06日

融通念仏宗の宗祖②

ところが当時、比叡山の僧が貴族社会と癒着し堕落していたため山を降り、京都の大原に来迎院を建てて苦行に打ち込みました。

良忍の修行は苛酷をきわめました。睡魔に打ち勝つために手足の指を切って燃やし「法華経」と六万遍の念仏を毎日読経、唱和。さらに「妙法経」六部を書写しました。

続きは、融通念仏宗の宗祖③にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)融通念仏宗

2014年02月05日

融通念仏宗の宗祖①

「一人の念仏が万人の念仏に通じる」とする融通念仏宗を開いたのが、聖応大師・良忍です。

良忍は一〇七二年(延久四年)尾張国(愛知県)に生まれました。十二歳で比叡山に入ると、良賀のもとで出家します。東塔の常行堂の堂僧として不断念仏と天台の教えを学び、仁和寺の永意のもとで密教も学びました。良忍はたちまちその極意を修得し、比叡山の重要な僧となります。

続きは、融通念仏宗の宗祖②にて


  


Posted by きいちろう  at 21:38Comments(0)融通念仏宗