2014年01月21日
真言宗の宗祖⑪
空海は思想家、文化人としても偉大な業績を残しました。「十住心論」は仏教界を代表する名著といわれ、ほかにも「即身成仏義」「般若心経秘鍵」など多くの著作があります。また嵯峨天皇、橘逸勢とともに「三筆」と称されるように、書道にもすぐれた才能をみせました。さらに医療や漢方医学などにも精通し、非凡さを示しています。
そんな空海は八三五年(承和二年)、六十二歳のときに高野山で没しましたが、真言宗では亡くなったのではなく「入定」といい、いまも瞑想をつづけていると信じられています。
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真言宗の宗祖①~⑩

そんな空海は八三五年(承和二年)、六十二歳のときに高野山で没しましたが、真言宗では亡くなったのではなく「入定」といい、いまも瞑想をつづけていると信じられています。
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2014年01月20日
真言宗の宗祖⑩
空海は布教とともに全国を行脚し、社会事業に尽力しました。彼が掘ったといわれる井戸や温泉などは全国各地に残っています。なかでも讃岐の満濃池は、わずか三ヵ月で従来の数倍の強度に改修されたという溜池で「讃岐の水がめ」としていまも利用されています。
(続きは、真言宗の宗祖⑪にて)

(続きは、真言宗の宗祖⑪にて)

2014年01月19日
真言宗の宗祖⑨
こうして真言宗を開いた空海は、朝廷のために鎮護国家の修法をおこない、数々の書物を著すなど、密教を広めることに力を注いでいきます。八一六年(弘仁七年)、高野山を開山すると、八二三年(弘仁一四年)には京都の東寺に密教の根本道場を開き、教王護国寺と号しました。そして東寺の隣に、庶民の子弟のための教育機関である綜芸種智院をつくりました。
(続きは、真言宗の宗祖⑩にて)

(続きは、真言宗の宗祖⑩にて)

2014年01月18日
真言宗の宗祖⑧
八〇九年(大同四年)には、京都の高雄山寺(神護寺)に入り、密教の壇を開きました。壇とは密教の修法のときに、仏像や三味耶形などを安置し、供物などを供える曼荼羅のことをいいます。
多くの弟子が空海のもとに集まってきましたが、空海より先に帰国していた最澄もすすんで教えを求め、二人の間に交流がはじまりました。
(続きは、真言宗の宗祖⑨にて)

多くの弟子が空海のもとに集まってきましたが、空海より先に帰国していた最澄もすすんで教えを求め、二人の間に交流がはじまりました。
(続きは、真言宗の宗祖⑨にて)

2014年01月17日
真言宗の宗祖⑦
この頃の密教は「大日経」にもとづく胎蔵界系と「金剛頂経」にもとづく金剛界系の二つの流れでできていました。空海は両方の秘法を持ち帰り、帰国後さらに修行を積みます。そして金剛界、胎蔵界を統一して真言密教という純密(正純密教)の教義を確立したのです。
(続きは、真言宗の宗祖⑧にて)

(続きは、真言宗の宗祖⑧にて)

2014年01月16日
真言宗の宗祖⑥
唐に渡った空海は、長安で恵果という高僧に師事します。最晩年の弟子となり、密教すべてを受け継ぎました。恵果は死の直前に曼荼羅や経典、法具などを空海に与え、帰国して教えを広めるようすすめました。
空海の滞在期間は当初二〇年の予定でしたが、師の言葉にしたがい、八〇六年(大同元年)在唐二年あまりで帰国することになります。
(続きは、真言宗の宗祖⑦にて)

空海の滞在期間は当初二〇年の予定でしたが、師の言葉にしたがい、八〇六年(大同元年)在唐二年あまりで帰国することになります。
(続きは、真言宗の宗祖⑦にて)

2014年01月15日
真言宗の宗祖⑤
だが当時の日本では密教を学ぶ素地がなく、唐に渡るしか密教を修める方法がありませんでした。そこで唐への渡航を決意します。留学生としての許可が与えられ、遣唐使に随行しました。この船団には、後に天台宗の宗祖となる最澄も加わっていました。
(続きは、真言宗の宗祖⑥にて)

(続きは、真言宗の宗祖⑥にて)

2014年01月14日
真言宗の宗祖④
この頃、空海は正式な得度を受け、東大寺の戒壇院で受戒し「空海」という僧名を授かったとされていますが、定かではありません。
修行をつづける空海は、あるとき密教の根本経典「大日経」に出会います。これこそ空海が求めていた教えでした。
(続きは、真言宗の宗祖⑤にて)

修行をつづける空海は、あるとき密教の根本経典「大日経」に出会います。これこそ空海が求めていた教えでした。
(続きは、真言宗の宗祖⑤にて)

2014年01月13日
真言宗の宗祖③
大学をやめた空海は、険しい山で修行をおこないました。修行の内容は一〇〇日間、毎日百万遍の真言を唱える苦行。四国霊山の一つ室戸岬での修行中には、虚空菩薩との一体化に成功したといいます。
こうした修行を通してますます仏教の素晴らしさを実感した空海は、儒教・道教・仏教を比較して仏教の優位性を説いた「三教指帰」を著します。この著書では、世の中に貧困や病に苦しむ人々がたくさんおり、彼らを救う道は仏教しかないと主張しました。
(続きは、真言宗の宗祖④にて)

こうした修行を通してますます仏教の素晴らしさを実感した空海は、儒教・道教・仏教を比較して仏教の優位性を説いた「三教指帰」を著します。この著書では、世の中に貧困や病に苦しむ人々がたくさんおり、彼らを救う道は仏教しかないと主張しました。
(続きは、真言宗の宗祖④にて)

2014年01月12日
真言宗の宗祖②
だが空海はエリートを育てるだけの大学に疑問を抱き、しだいに仏教に傾倒していきます。そして一人の高僧から虚空蔵求聞持法という密教の修法を習ったのを機に、大学を中退してしまいます。
(続きは、真言宗の宗祖③にて)

(続きは、真言宗の宗祖③にて)

2014年01月11日
真言宗の宗祖①
日本における真言宗の宗祖は、「お大師さま」「弘法さま」とよばれて親しまれている弘法大師・空海です。
その生涯については謎が多いですが、七七四年(宝亀五年)に讃岐国(香川県)の地方官吏の家に生まれたとされています。幼名は真魚(まお)といい、幼い頃から頭が良く、十八歳のときに京都の大学に入りました。当時の大学は官吏を養成する機関で、儒教をもとにした漢文教育を行うところです。
(続きは、真言宗の宗祖②にて)

その生涯については謎が多いですが、七七四年(宝亀五年)に讃岐国(香川県)の地方官吏の家に生まれたとされています。幼名は真魚(まお)といい、幼い頃から頭が良く、十八歳のときに京都の大学に入りました。当時の大学は官吏を養成する機関で、儒教をもとにした漢文教育を行うところです。
(続きは、真言宗の宗祖②にて)
