2013年09月14日
曹洞宗とは?⑥
禅の教えでは、坐禅はもちろん、日常生活のすべてを修行と考えます。洗顔、料理、食事、掃除、仕事・・・・・それらすべてが修行であり、修行と悟りは同じです。両者が一体となったところに、仏の姿が見えると説いています。けっして悟りを得ることを修行の目的としてはいけないのです。
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2013年09月13日
曹洞宗とは?⑤
また曹洞宗の禅は、修証一等(修証一如)の禅ともいわれます。修証の「修」は修行のこと。「証」は証明の証で、本来の悟りを意味します。つまり、修行と悟りとは一つということを示しているのです。
(続きは、曹洞宗とは?⑥にて)
(続きは、曹洞宗とは?⑥にて)

2013年09月12日
曹洞宗とは?④
即心是仏について道元は、「煩悩を抱えたままの心が仏になることはけっしてない。即心是仏とは肉体と別の不滅の霊魂をいうのではなく、自己と大宇宙とが身心一体化した、あるがままの姿をいう」と「正法眼蔵」に記しています。この即身是仏にいたる道が、只管打坐なのです。
(続きは、曹洞宗とは?⑤にて)

(続きは、曹洞宗とは?⑤にて)

2013年09月11日
2013年09月10日
曹洞宗とは?②
道元は著書「正法眼蔵」のなかで、「身体で坐り、心で坐り、身も心もいっさいの束縛を離れた自由な状態で坐るべきだ」と坐禅について述べており、公案を重視していません。そして「経典も、念仏も、仏像も、焼香もいらない。ひたすら坐禅することによってのみ、釈尊の正伝である仏法を学びとれる」ともいい、すべての束縛から解放された悟りの境地を身心脱落と表現しています。
(続きは、曹洞宗とは?③にて)
(続きは、曹洞宗とは?③にて)

2013年09月09日
曹洞宗とは?①
道元が開いた曹洞宗では、只管打坐こそが仏の行だと主張しています。ただひたすら(只管)坐禅に打ち込む(打坐)ことが、悟りにほかならないのです。
前述(臨済宗とは?①~⑥)したように、臨済宗の禅は公案をもって悟りを得ようとする看話禅です。それに対して曹洞宗の禅は、言葉を用いず黙って坐る黙照禅です。
(続きは、曹洞宗とは?②にて)
前述(臨済宗とは?①~⑥)したように、臨済宗の禅は公案をもって悟りを得ようとする看話禅です。それに対して曹洞宗の禅は、言葉を用いず黙って坐る黙照禅です。
(続きは、曹洞宗とは?②にて)
