2013年08月25日
浄土宗とは?⑰
法然の念仏は、他力の念仏といわれ、後につづく親鸞らにも受け継がれました。自分の力(自力)で救われようと念仏を称えるのではなく、阿弥陀如来にすがって(他力)称えてこそ救われるとしました。つまり、どんな人が何回念仏を称えても、救いの道は等しく開かれていると説いたのです。
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2013年08月24日
浄土宗とは?⑯
ところが、法然の在世中から一念往生に異を唱える多念義派があらわれ、数多く念仏を称えるほど往生を確実にすると主張。法然らの一念義派と論争を繰り返しました。
それでも法然は一念往生を主張しつづけ、さらに人の道にそむく五逆などの犯罪を犯した者でも救われると説きました。あらゆる衆生に往生の扉を開いたのです。
(続きは、浄土宗とは?⑰にて)
それでも法然は一念往生を主張しつづけ、さらに人の道にそむく五逆などの犯罪を犯した者でも救われると説きました。あらゆる衆生に往生の扉を開いたのです。
(続きは、浄土宗とは?⑰にて)

2013年08月23日
浄土宗とは?⑮
この教えを一念往生といい、一〇回称えれば往生できるとする教えを十念往生、より多く称えるほど往生できるとする教えを多念往生といいます。
法然によると、何度も称える必要があるならば易行ではなく難行になり、誰もができるとは限りません。それでは仏の説いた平等に反するということで、一念往生を説いたのです。
(続きは、浄土宗とは?⑯にて)
法然によると、何度も称える必要があるならば易行ではなく難行になり、誰もができるとは限りません。それでは仏の説いた平等に反するということで、一念往生を説いたのです。
(続きは、浄土宗とは?⑯にて)

2013年08月22日
浄土宗とは?⑭
さらに、それ以前は念仏を称える回数が多いほど往生できる可能性も高まるとされていましたが、法然は救われたいという真剣な思いがあれば、一回の念仏でも往生できるとしました。そして一回で十分なのだから、二回、一〇回、一〇〇回、一万回、またそれ以上の念仏で往生できないはずはないともいっています。法然の教えにあっては、念仏の回数など関係ないのです。
(続きは、浄土宗とは?⑮にて)
(続きは、浄土宗とは?⑮にて)

タグ :浄土宗
2013年08月21日
浄土宗とは?⑬
ただ一心に念仏を称えることだけが極楽浄土への道であると説く専修念仏の教えは、従来の念仏信仰とは大きく異なります。
前項で述べたように、それまでは仏の姿を思い浮かべる観想念仏や、眼で仏を見る見仏が重視されていましたが、法然は口で称える称名念仏だけで往生できると説きました。
(続きは、浄土宗とは?⑭にて)
前項で述べたように、それまでは仏の姿を思い浮かべる観想念仏や、眼で仏を見る見仏が重視されていましたが、法然は口で称える称名念仏だけで往生できると説きました。
(続きは、浄土宗とは?⑭にて)

2013年08月20日
浄土宗とは?⑫
法然以前の時代に仏教を信仰していたのは、おもに貴族たちでした。しかし法然の平易な教えによって、庶民にも急速に広まりました。法然にいたって、仏教の救いは万民に開かれることになったのです。
(続きは、浄土宗とは?⑬にて)
(続きは、浄土宗とは?⑬にて)

2013年08月19日
浄土宗とは?⑪
裕福な貴族であれば仏像や浄土をイメージした庭園などをつくって観想念仏ができます。しかし、庶民には不可能です。そんな庶民の事情をくんだからこそ、法然は易行である称名念仏のほうを重視しました。
(続きは、浄土宗とは?⑫にて)
(続きは、浄土宗とは?⑫にて)

2013年08月18日
浄土宗とは?⑩
念仏とは、文字通り「阿弥陀如来を念じる」ことですが、いくつかの種類があります。
代表的な念仏の一つは、仏の姿や極楽浄土の光景をじっと心に思い浮かべる観想念仏。もう一つは、法然が最後に選んだ「南無阿弥陀仏」と阿弥陀如来の名前を口に出して称える称名念仏です。
(続きは、浄土宗とは?⑪にて)
代表的な念仏の一つは、仏の姿や極楽浄土の光景をじっと心に思い浮かべる観想念仏。もう一つは、法然が最後に選んだ「南無阿弥陀仏」と阿弥陀如来の名前を口に出して称える称名念仏です。
(続きは、浄土宗とは?⑪にて)

2013年08月17日
浄土宗とは?⑨
次に浄土門の修行法を正行と雑行にわけ、正行を選択します。正行には、読誦・観察・礼拝・讃歎・称名の五つがあります。
そして五つの正行のなかから最終的に称名を選びとり、もっとも正しい修行法としたのです。
(続きは、浄土宗とは?⑩にて)

そして五つの正行のなかから最終的に称名を選びとり、もっとも正しい修行法としたのです。
(続きは、浄土宗とは?⑩にて)

2013年08月16日
浄土宗とは?⑧
では、法然はどのような経緯で念仏の教えにたどり着いたのでしょうか。彼の著書「選択本願念仏集」に詳しく記されています。
法然はまず釈尊の教えを、阿弥陀如来を信じて救いを得ようとする浄土門と、それ以外の方法で救いを得ようとする聖道門にわけ、浄土門を選択します。
(続きは、浄土宗とは?⑨にて)
法然はまず釈尊の教えを、阿弥陀如来を信じて救いを得ようとする浄土門と、それ以外の方法で救いを得ようとする聖道門にわけ、浄土門を選択します。
(続きは、浄土宗とは?⑨にて)

2013年08月15日
浄土宗とは?⑦
末法時代が到来するまでの間、仏教は貴族や僧侶のものであり、庶民に対しては閉ざされていました。そこで法然は念仏以外の行をいっさい否定し、念仏だけが極楽往生に導くと説く浄土宗を興しました。
浄土宗の根本思想は、専修念仏といいます。「南無阿弥陀仏」と口にすることで必ず極楽浄土へ往生できると信じ、ひたすら念仏を称えます。法然によると、これがほかのどの行よりも正しい道なのです。
(続きは、浄土宗とは?⑧にて)
浄土宗の根本思想は、専修念仏といいます。「南無阿弥陀仏」と口にすることで必ず極楽浄土へ往生できると信じ、ひたすら念仏を称えます。法然によると、これがほかのどの行よりも正しい道なのです。
(続きは、浄土宗とは?⑧にて)

2013年08月14日
浄土宗とは?⑥
念仏信仰を宗派として最初に広めたのは融通念仏宗の良忍で、次に法然が天台宗から独立し、浄土宗を開きました。そして法然の弟子、浄土真宗の親鸞が念仏の教えを進化させた本願他力を説くと、さらに多くの人に広まりました。その後は時宗の一遍が踊りながら念仏を称える踊り念仏をはじめ、人々の信仰を得ていきました。これら四つの宗派を、浄土系四宗といいます。
(続きは、浄土宗とは?⑦にて)
(続きは、浄土宗とは?⑦にて)

2013年08月13日
浄土宗とは?⑤
浄土教は六、七世紀にすでに唐から伝わっており、平安時代中期には空也や源信によって念仏が広められていました。源信は「往生要集」に極楽浄土と地獄の情景を詳しく著し、念仏の大切さを説きました。
(続きは、浄土宗とは?⑥にて)
(続きは、浄土宗とは?⑥にて)

2013年08月12日
浄土宗とは?④
それまでの教えでは、悟りへの道を開くには厳しい修行と学問が必要とされ(難行)、優秀な僧侶や特別な者以外には至難の業とされていました。だが念仏を称えるだけならば(易行)、誰にでも簡単にできます。この単純明快な教えが、救いを求める人々を魅了したのであります。
(続きは、浄土宗とは?⑤にて)
(続きは、浄土宗とは?⑤にて)

2013年08月11日
浄土宗とは?③
2013年08月10日
浄土宗とは?②
この頃、貴族たちは自らの力の衰退、僧兵の横暴、武士の台頭という現実を目のあたりにし、末世の不安を抱きはじめました。また庶民は疫病、戦乱、天災が相次いだため不安におびえ、時代の終焉を実感するようになりました。
(続きは、浄土宗とは?③にて)
(続きは、浄土宗とは?③にて)

タグ :浄土宗
2013年08月09日
浄土宗とは?①
平安時代末期になると藤原政権が凋落して乱世と化し、貴族・庶民の間に一つの思想が色濃く漂いはじめます。末法思想です。
これはいわば仏教の歴史観で、正法・像法・末法の三つの区分に時代が分けられるというものです。諸説ありますが、釈尊の入滅後五〇〇年を正法といい、その後の一〇〇〇年間を像法といいます。さらにその後を末法といい、釈尊の教えが廃れ破滅的な世になるとされました。
(続きは、浄土宗とは?②にて)
これはいわば仏教の歴史観で、正法・像法・末法の三つの区分に時代が分けられるというものです。諸説ありますが、釈尊の入滅後五〇〇年を正法といい、その後の一〇〇〇年間を像法といいます。さらにその後を末法といい、釈尊の教えが廃れ破滅的な世になるとされました。
(続きは、浄土宗とは?②にて)
