2014年02月16日
浄土真宗の宗祖⑥
しかし教えが広まるにつれて奈良の諸大寺や比叡山が反発し、専修念仏禁止の弾圧を行なうようになります。一二〇七年(承元元年)に法然は四国に流罪、親鸞も還俗(出家僧から俗人に戻ること)のうえ、越後国(新潟県)に流されました。これを承元の法難といいます。
(続きは、浄土真宗の宗祖⑦にて)

(続きは、浄土真宗の宗祖⑦にて)
