2014年02月02日
浄土宗の宗祖⑫
さらに一二〇七年(承元元年)法然の二人の弟子が後鳥羽院の女房と密通したという嫌疑で死罪とされ、翌年には法然も四国への流罪となりました。(承元の法難)このとき法然は七十五歳、老骨の身で四国の地へ流され、四年後にようやく帰京を許されましたが、翌年には大谷の禅房で八十歳の生涯を閉じます。
(続きは、浄土宗の宗祖⑬にて)

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