2014年02月06日
融通念仏宗の宗祖②
ところが当時、比叡山の僧が貴族社会と癒着し堕落していたため山を降り、京都の大原に来迎院を建てて苦行に打ち込みました。
良忍の修行は苛酷をきわめました。睡魔に打ち勝つために手足の指を切って燃やし「法華経」と六万遍の念仏を毎日読経、唱和。さらに「妙法経」六部を書写しました。
(続きは、融通念仏宗の宗祖③にて)

良忍の修行は苛酷をきわめました。睡魔に打ち勝つために手足の指を切って燃やし「法華経」と六万遍の念仏を毎日読経、唱和。さらに「妙法経」六部を書写しました。
(続きは、融通念仏宗の宗祖③にて)
