2014年03月04日
臨済宗の宗祖⑤
旧仏教界からの圧力で京都に入れなくなってしまった栄西は、数年間九州各地を転々として暮らし、禅の正当性を主張するために「興禅護国論」を著します。
この書では、自分の説く禅は、かつて最澄が説いた禅に等しいと主張します。そして天台宗の復興が本来の目的であると述べ、排斥から逃れようとしました。
(続きは、臨済宗の宗祖⑥にて)

この書では、自分の説く禅は、かつて最澄が説いた禅に等しいと主張します。そして天台宗の復興が本来の目的であると述べ、排斥から逃れようとしました。
(続きは、臨済宗の宗祖⑥にて)
