2014年03月17日
曹洞宗の宗祖⑧
道元の教えはしだいに広まり弟子も増え、教団は急速に発展しました。そのため、旧仏教界から激しい弾圧を受けることになります。道元は「護国正法義」を著して、自分の教える禅こそが正法であると主張します。しかし弾圧はますます激化したので、迫害を避けるため越前(福井県)に移り、一二四四年(寛元二年)大仏寺(後の永平寺)を開きます。
四八歳のときには、北条時頼の招きを受けて鎌倉に赴き、時頼に説法をしました。
その後半年で永平寺に戻りましたが、一二五三年(建長五年)五四歳のときに病で亡くなりました。
(続きは、曹洞宗の宗祖⑨にて)

四八歳のときには、北条時頼の招きを受けて鎌倉に赴き、時頼に説法をしました。
その後半年で永平寺に戻りましたが、一二五三年(建長五年)五四歳のときに病で亡くなりました。
(続きは、曹洞宗の宗祖⑨にて)
