2014年05月23日
禅系宗派の文化・しきたり⑰
元が日本を襲撃した文永・弘安の役が終わると、元の禅僧も来朝するようになり、また日本の禅僧も入元して、宋・元の書風をもたらしました。
この頃の禅僧でとくに知られているのは、一山一寧です。彼は後宇田法皇の要請で南禅寺に入りました。これにより、禅と宋・元の文化は貴族階級にも広まることとなりました。一山は詩文と書にすぐれ、その影響で禅寺では書がさかんに行われました。この時代の禅僧は、技巧や書法にこだわらず、あるがまま自由に書きました。
(続きは、禅系宗派の文化・しきたり⑱にて)

この頃の禅僧でとくに知られているのは、一山一寧です。彼は後宇田法皇の要請で南禅寺に入りました。これにより、禅と宋・元の文化は貴族階級にも広まることとなりました。一山は詩文と書にすぐれ、その影響で禅寺では書がさかんに行われました。この時代の禅僧は、技巧や書法にこだわらず、あるがまま自由に書きました。
(続きは、禅系宗派の文化・しきたり⑱にて)
