2014年03月02日
臨済宗の宗祖③
比叡山では密教の修行に励み、一一六八年(仁安三年)二十八歳で宋にわたりました。栄西はこのとき禅宗に出会い強い関心を抱きましたが、帰国してからの二十年間は密教僧として活躍しました。
二度目の入宋は一一八七年(文治三年)四七歳のときのことです。当初は宋からインドにわたり、釈尊の聖地を巡る予定でした。ところが遊牧民対策として国境が閉ざされていたため、インド行きを断念します。天台山万年寺の臨在僧・虚庵懐敞に師事することを決意しました。
(続きは、臨済宗の宗祖④にて)

二度目の入宋は一一八七年(文治三年)四七歳のときのことです。当初は宋からインドにわたり、釈尊の聖地を巡る予定でした。ところが遊牧民対策として国境が閉ざされていたため、インド行きを断念します。天台山万年寺の臨在僧・虚庵懐敞に師事することを決意しました。
(続きは、臨済宗の宗祖④にて)
