2014年03月07日
臨済宗の宗祖⑧
こうして栄西は臨済宗の宗祖となったわけですが、栄西の禅は、純粋な禅ではありませんでした。密教(天台密教)と禅の思想をあわせもち、密教僧の立場で禅を説きました。これを兼修禅といいます。
建仁寺にしても当時は天台、真言、禅の三宗兼学道場で、栄西は臨済宗の独立より、天台密教の復興に力を注いでいたといわれています。
(続きは、臨済宗の宗祖⑨にて)

建仁寺にしても当時は天台、真言、禅の三宗兼学道場で、栄西は臨済宗の独立より、天台密教の復興に力を注いでいたといわれています。
(続きは、臨済宗の宗祖⑨にて)
