2014年03月28日
日蓮宗の宗祖⑨
相次ぐ弾圧で、日蓮の教団は壊滅状態になります。しかし日蓮はこうした苦難のなかにあって「開目抄」「観心本尊抄」といった書を著すなど、法華信仰に生きました。
一二七四年(文永一一年)流罪を解かれて鎌倉に戻ると、三たび幕府に「法華経」への帰依を進言し、今度も退けられて鎌倉を去ることになりましたが、日蓮はめげません。
身延山に落ち着いてからは弟子の教育と著述につとめ、この間に重要な著述も多数残されました。
(続きは、日蓮宗の宗祖⑩にて)

一二七四年(文永一一年)流罪を解かれて鎌倉に戻ると、三たび幕府に「法華経」への帰依を進言し、今度も退けられて鎌倉を去ることになりましたが、日蓮はめげません。
身延山に落ち着いてからは弟子の教育と著述につとめ、この間に重要な著述も多数残されました。
(続きは、日蓮宗の宗祖⑩にて)
