2014年03月25日
日蓮宗の宗祖⑥
その翌年、鎌倉で布教を再開したときにも、念仏信者らは日蓮を危険人物として幕府に訴え、伊豆国の伊東に流罪にされました。(伊豆の法難)
これ以降は法難の連続で、日蓮は自ら「少々の難は数知れず、大難四箇度なり」と語っています。大きな法難を四回も受けたのは、他宗派を激烈に批判する折伏の行動に原因があったとされています。
(続きは、日蓮宗の宗祖⑦にて)

これ以降は法難の連続で、日蓮は自ら「少々の難は数知れず、大難四箇度なり」と語っています。大きな法難を四回も受けたのは、他宗派を激烈に批判する折伏の行動に原因があったとされています。
(続きは、日蓮宗の宗祖⑦にて)
