2014年03月25日

日蓮宗の宗祖⑥

その翌年、鎌倉で布教を再開したときにも、念仏信者らは日蓮を危険人物として幕府に訴え、伊豆国の伊東に流罪にされました。(伊豆の法難)

これ以降は法難の連続で、日蓮は自ら「少々の難は数知れず、大難四箇度なり」と語っています。大きな法難を四回も受けたのは、他宗派を激烈に批判する折伏の行動に原因があったとされています。

続きは、日蓮宗の宗祖⑦にて

日蓮宗の宗祖⑥



同じカテゴリー(日蓮宗)の記事画像
日蓮宗の宗祖⑩
日蓮宗の宗祖⑨
日蓮宗の宗祖⑧
日蓮宗の宗祖⑦
日蓮宗の宗祖⑤
日蓮宗の宗祖④
同じカテゴリー(日蓮宗)の記事
 日蓮宗の宗祖⑩ (2014-03-29 21:38)
 日蓮宗の宗祖⑨ (2014-03-28 21:38)
 日蓮宗の宗祖⑧ (2014-03-27 21:38)
 日蓮宗の宗祖⑦ (2014-03-26 21:38)
 日蓮宗の宗祖⑤ (2014-03-24 21:38)
 日蓮宗の宗祖④ (2014-03-23 21:38)

Posted by きいちろう  at 21:38 │Comments(0)日蓮宗

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。