2014年03月26日
日蓮宗の宗祖⑦
二年間の流人生活を終えて安房に戻ったものの、一二六四年(文永元年)にまたも念仏信者から襲撃を受けて弟子二人が殉教します。自身も額に刀傷を受ける事件が起こりました。(小松原の法難)一命をとりとめた日蓮は、屈せずに鎌倉に戻って精力的に布教を行ないました。
この頃、元から国書が届けられ、蒙古襲来の危機が迫ったため、日蓮はふたたび「立正安国論」を幕府に呈上しましたが、またもや捕えられることになります。
(続きは、日蓮宗の宗祖⑧にて)

この頃、元から国書が届けられ、蒙古襲来の危機が迫ったため、日蓮はふたたび「立正安国論」を幕府に呈上しましたが、またもや捕えられることになります。
(続きは、日蓮宗の宗祖⑧にて)
