2014年04月06日
天台宗の宗祖③
平安時代の奈良仏教は、出世栄達や金満主義がまかり通っており、堕落した僧侶たちが多くいました。そんな奈良仏教に絶望していたとき、「法華経」をはじめとした天台宗の経典に巡り合いました。最澄は自分が求めていたものはこれだと直感し、天台の修行のため、比叡山に入りました。
山にこもって三年目になると、同志とともに比叡山寺(いまの延暦寺)を開き、修行の生活をさらに一〇年近くつづけました。
(続きは、天台宗の宗祖④にて)

山にこもって三年目になると、同志とともに比叡山寺(いまの延暦寺)を開き、修行の生活をさらに一〇年近くつづけました。
(続きは、天台宗の宗祖④にて)
