2011年04月14日
浄土宗とは?

浄土宗は、
法然上人は、今から約860年前(1133)に現在の岡山県(当時の
当時の旧仏教の中でこの新しい教えを打ち出されただけに、いろいろな苦難がつづきました。貴族だけの仏教を大衆のために、というこの教えは、日本中にひろまり、皇室・貴族をはじめとして、広く一般民衆にいたるまで、このみちびきによって救われたのでした。
法然上人は、どこにいても、なにをしていても南無阿弥陀仏をとなえよ、とすすめておられます。南無阿弥陀仏と口にとなえて仕事をしなさい、その仏の
こうした教えがひろまるにつれて、それが新しい宗教であったため、いろいろなことで迫害をうけました。そのときでも、法然上人はこの教えだけは絶対やめませんという固い決意をあらわしておられます。また、亡くなるときにも、わたしが死んでも墓を建てなくてもよろしい、南無阿弥陀仏をとなえるところには必ずわたしがいるのですといって、その強い信念を示されました。
亡くなってから間もなく800年になりますが、その遺言とは反対にお寺がたくさんできたということは、いかに法然上人の教えがわれわれ民衆と共にあって、その教えを慕わずにおられなかったか、という心のあらわれであります。
南無阿弥陀仏の仏の御名は、すぐ口に出してとなえられます。できるだけたくさん口に出してとなえるほど、私たちは仏の願いに近づくことになるのです。するとわたくしたちはすなおな心になり、今日の生活に必ず光がさし込んできて、活き活きとした、そして、平和なくらしができるようになります。それは明日の生活にもつづいて、日ぐらしの上に立派な花を咲かせてくれます。
法然上人の教えは、今生きることによろこびを感じることであります。
念仏をとなえながら、充実した日々をお過ごし下さい。
2011年04月13日
黄檗宗とは?
黄檗宗とは禅宗の一派で、開祖は隠元禅師です。大本山は宇治市の黄檗山万福寺。
同じ禅宗の臨済宗や曹洞宗がいずれも鎌倉時代初期に伝来したのに対して、黄檗宗は隠元禅師が江戸時代初期に伝えました。隠元禅師は、中国禅の正当派であることを強調し、独自の宗風を生みました。黄檗山万福寺の山号寺号も隠元禅師の住んでいた中国の地名からとったものです。住持も13世紀まではすべて中国僧であり、仏像、建築、修行生活も中国様式でした。黄檗宗の宗風は臨済宗の禅に明代の念仏禅を加え、読経は唐音(とういん)、儀式などの決まりは明朝風であります。
隠元禅師、木庵禅師に即非如一(そくひにょいち)を加えた三人は、黄檗三筆として知られています。

開祖:隠元禅師
2011年04月13日
天台宗とは?
教主:久遠実成の釈迦如来
開祖:天台智者大師・伝教大師 最澄
主な経典:法華経・阿弥陀経・大日経・梵網菩薩戒経
寺院の御本尊:金剛界・胎蔵界曼荼羅に含まれるすべての諸仏・諸菩薩等々

宗祖:伝教大師・最澄
平安時代(804年)、最澄38歳のときに唐に渡り、天台山で天台教学を授かりました。更に、真言密教、禅、戒律も学びました。この時、同じ船ではありませんでしたが、真言宗の空海も同じ一団として、唐に渡っていたのであります。帰国後、朝廷に認められ、比叡山を賜り「天台宗」を開きます。その後、円仁、円珍の活躍により、密教が極められ、現在の天台宗の形が完成します。江戸時代にも、天海という名僧が出現。江戸城や日光東照宮などの建設の際も風水や密教占星術を用いて、「江戸曼荼羅」を完成させ、その効果が効いてか、現在の首都も東京であるという話もあります。また、日蓮宗の「日蓮」、浄土宗の「法然」浄土真宗の「親鸞」、曹洞宗の「道元」
臨済宗の「栄西」や時宗の「一遍」など天台宗を学び、そこからひとり立ちして各宗を開宗しています。
2011年04月13日
真言宗とは?
◎真言宗とは?
教主:大日如来
開祖:弘法大師 空海
主な経典:大日経・金剛頂経・理趣経
寺院の御本尊:金剛界・胎蔵界曼荼羅に含まれるすべての諸仏・諸菩薩等々

宗祖:弘法大師・空海
平安時代、弘法大師 空海が唐に渡り恵果阿闍梨(けいかあじゃり)より直々に伝授され日本に伝え始まりました。密教という部分では一緒に入唐した天台宗の最澄も先に日本に持ち帰っていましたが、それを上回る経典、法具などを空海は持ち帰ることになりました。その後、天皇より京都の東寺、神護寺を賜り、最終的に高野山を構築します。そして、ここ高野山を総本山として真言宗が開宗されました。近年になり、大小の派に分かれ今に至っています。