2011年04月14日
南無阿弥陀仏の意味は?
◎南無阿弥陀仏の意味は?
「南无阿弥陀仏」は、「南無」と「阿弥陀仏」に分解できます。更に、「阿弥陀仏」は、「阿弥陀」と「仏」に分解できます。
「南無」「阿弥陀」「仏」は、すべて、インドの古典語であるサンスクリット語の音を中国語(漢字)に置き換えたものです。したがって、個々の漢字の意味を調べてみても、「南無阿弥陀仏」の意味にはたどり着けません。残念ながら、サンスクリット語の意味を追うしかありません。
以下、サンスクリット語の意味するところから、「南無」「阿弥陀」「仏」を説明させていただきます。
「南無」は、サンスクリット語で「屈する」という意味を持つ「ナマス」という言葉を音写したものです。南摸(なも)と音写する場合ります。中国語では、帰依、帰順、帰命などと訳されています。心から信じる、まかせる、従うという意味です。
「阿弥陀」は、「無量の命(限りない命)」を表す「アミターバ」という言葉と、「無辺の光(果てのない光)」を表す「アミターユス」という言葉の語幹です。無量、無辺、およそ、我々には量り知ることができないという意味があります。
「仏」は、ブッダ(仏陀)というサンスクリット語を語源とします。本来は、師匠、先生ほどの意味を表す一般語だったが、仏教では、悟りを開いた者という意味で使いました。そして、お釈迦様や、その直弟子が亡くなり、時代が下がると、やがて、かつて悟りを開いた人々の共通項を集めた抽象的な存在を意味するようになりました。
つまり、今風にいえば、「南無阿弥陀仏」とは、
1)我々には量り知ることのできない命と光を本体としながらも、
2)人よりは抽象的にして、悟りそのものよりは具体的な存在に対して、
3)心から従うこと
と、言えるでしょう。
「南无阿弥陀仏」は、「南無」と「阿弥陀仏」に分解できます。更に、「阿弥陀仏」は、「阿弥陀」と「仏」に分解できます。
「南無」「阿弥陀」「仏」は、すべて、インドの古典語であるサンスクリット語の音を中国語(漢字)に置き換えたものです。したがって、個々の漢字の意味を調べてみても、「南無阿弥陀仏」の意味にはたどり着けません。残念ながら、サンスクリット語の意味を追うしかありません。
以下、サンスクリット語の意味するところから、「南無」「阿弥陀」「仏」を説明させていただきます。
「南無」は、サンスクリット語で「屈する」という意味を持つ「ナマス」という言葉を音写したものです。南摸(なも)と音写する場合ります。中国語では、帰依、帰順、帰命などと訳されています。心から信じる、まかせる、従うという意味です。
「阿弥陀」は、「無量の命(限りない命)」を表す「アミターバ」という言葉と、「無辺の光(果てのない光)」を表す「アミターユス」という言葉の語幹です。無量、無辺、およそ、我々には量り知ることができないという意味があります。
「仏」は、ブッダ(仏陀)というサンスクリット語を語源とします。本来は、師匠、先生ほどの意味を表す一般語だったが、仏教では、悟りを開いた者という意味で使いました。そして、お釈迦様や、その直弟子が亡くなり、時代が下がると、やがて、かつて悟りを開いた人々の共通項を集めた抽象的な存在を意味するようになりました。
つまり、今風にいえば、「南無阿弥陀仏」とは、
1)我々には量り知ることのできない命と光を本体としながらも、
2)人よりは抽象的にして、悟りそのものよりは具体的な存在に対して、
3)心から従うこと
と、言えるでしょう。

勉強になりました。
もっと簡単に言うと
無限の 仏に 従う
ですね。
なーるほど!!
お役にたててよかったです(^o^)丿
その他等あればいつでもお問い合わせください(*^_^*)