2011年04月14日
日蓮宗とは?
◎日蓮宗とは?
宗祖日蓮聖人(1222~1282)は、仏教の開祖釈尊が説かれた膨大な経典群の中から、殊更『法華経』を選び取られ、これを根本経典となさいました。従って、日蓮宗が標榜する信仰の対象は、その根本経典たる『法華経』に説かれた久遠実成の教主釈尊(仏)、その釈尊がお説きになった真意たる『法華経』(法)、そして『法華経』を弘通された宗祖日蓮聖人(僧)であり、この三宝を信仰の対象としています。日蓮聖人がしたためられた大曼荼羅(だいまんだら)ご本尊には、この三宝と法華経で最も重要な壽量品(じゅりょうほん)の説相が示されています。
宗祖:日蓮聖人
日蓮聖人は、膨大な仏教の経典の中で、『法華経』のみが完全真実の教えであり、釈尊の本意を淀みなく明かした経典と見なされました。そしてこの法華経は釈尊在世時の人々を救うばかりでなく、正しい仏法が失われ人々の心が病む末法(まっぽう)の時代、すなわち現代人の萎えた心までをも救い得る(否、寧ろ現代の我々の為の)教えであるとお考えになられました。
日蓮聖人によれば、法華経は「二乘作仏」(にじょうさぶつ)と「久遠実成」(くおんじつじょう)を説く所にその特質と意義があることになります。そしてこの両者を「二箇の大事」(にかのだいじ)と呼称され特に重要な法門とされました。
「二乘作仏」とは、法華経の前半に説かれる教えで、法華経以外の大乗経典では、自己中心的な声聞(しょうもん、仏の教えを直接聞き、四諦の道理により悟る人)と縁覚(えんがく、独りで十二因縁の道理を観察して悟る人)の二乘は成仏できないとされ、見捨てられていましたが、この法華経ではより高次元な「開会」(かいえ、我々が普通考える大小・善悪・長短等の相待的な二元論の立場ではなく、無自性空の絶待的一元の立場からの思考)の立場から、二乘をはじめ、悪人や女人(法華経以前の経典では女人は成仏しないとされていた。)も含む全ての人々の成仏を保証しています。そしてこの「二乘作仏」の法門により、一切の衆生を成仏の世界へ導く一仏乘の教えが示され、これにより我々末法の世に生きる凡夫ですら仏様と同じ心になることができると確証されたのです。
いまひとつの「久遠実成」とは、法華経後半に説かれる如来壽量品の教説で、インドに応現され八〇歳で入滅された釈尊は実は仮のお姿であり、真実の釈尊は久遠の昔に成道した永遠の存在であると同時に、全ての諸仏はこの本仏釈尊の垂迹示現にすぎないことが明かされています。そしてこの本仏は真摯な本当の信仰を持つものに対して、何時でも、たとえ如何なる所でも、常に救済の活動を続けておられるとしています。
日蓮聖人はこの法華経を学問的な理論としてではなく、久遠実成の本仏釈尊が常に大慈大悲による我々衆生の救済を継続されているという事実を表明したものと理解し、法華経を理屈ではなく、それこそ全身全霊で読まれ、持たれたのです。(これを法華経の「色読」しきどく、と称し日蓮聖人の法華経観の一大特色としています。)
宗祖日蓮聖人(1222~1282)は、仏教の開祖釈尊が説かれた膨大な経典群の中から、殊更『法華経』を選び取られ、これを根本経典となさいました。従って、日蓮宗が標榜する信仰の対象は、その根本経典たる『法華経』に説かれた久遠実成の教主釈尊(仏)、その釈尊がお説きになった真意たる『法華経』(法)、そして『法華経』を弘通された宗祖日蓮聖人(僧)であり、この三宝を信仰の対象としています。日蓮聖人がしたためられた大曼荼羅(だいまんだら)ご本尊には、この三宝と法華経で最も重要な壽量品(じゅりょうほん)の説相が示されています。

宗祖:日蓮聖人
日蓮聖人は、膨大な仏教の経典の中で、『法華経』のみが完全真実の教えであり、釈尊の本意を淀みなく明かした経典と見なされました。そしてこの法華経は釈尊在世時の人々を救うばかりでなく、正しい仏法が失われ人々の心が病む末法(まっぽう)の時代、すなわち現代人の萎えた心までをも救い得る(否、寧ろ現代の我々の為の)教えであるとお考えになられました。
日蓮聖人によれば、法華経は「二乘作仏」(にじょうさぶつ)と「久遠実成」(くおんじつじょう)を説く所にその特質と意義があることになります。そしてこの両者を「二箇の大事」(にかのだいじ)と呼称され特に重要な法門とされました。
「二乘作仏」とは、法華経の前半に説かれる教えで、法華経以外の大乗経典では、自己中心的な声聞(しょうもん、仏の教えを直接聞き、四諦の道理により悟る人)と縁覚(えんがく、独りで十二因縁の道理を観察して悟る人)の二乘は成仏できないとされ、見捨てられていましたが、この法華経ではより高次元な「開会」(かいえ、我々が普通考える大小・善悪・長短等の相待的な二元論の立場ではなく、無自性空の絶待的一元の立場からの思考)の立場から、二乘をはじめ、悪人や女人(法華経以前の経典では女人は成仏しないとされていた。)も含む全ての人々の成仏を保証しています。そしてこの「二乘作仏」の法門により、一切の衆生を成仏の世界へ導く一仏乘の教えが示され、これにより我々末法の世に生きる凡夫ですら仏様と同じ心になることができると確証されたのです。
いまひとつの「久遠実成」とは、法華経後半に説かれる如来壽量品の教説で、インドに応現され八〇歳で入滅された釈尊は実は仮のお姿であり、真実の釈尊は久遠の昔に成道した永遠の存在であると同時に、全ての諸仏はこの本仏釈尊の垂迹示現にすぎないことが明かされています。そしてこの本仏は真摯な本当の信仰を持つものに対して、何時でも、たとえ如何なる所でも、常に救済の活動を続けておられるとしています。
日蓮聖人はこの法華経を学問的な理論としてではなく、久遠実成の本仏釈尊が常に大慈大悲による我々衆生の救済を継続されているという事実を表明したものと理解し、法華経を理屈ではなく、それこそ全身全霊で読まれ、持たれたのです。(これを法華経の「色読」しきどく、と称し日蓮聖人の法華経観の一大特色としています。)